「砂糖の世界史」
手に取った理由:
読了後の課題に対する解決策、考え方等
- P.3【生まれつき砂糖が嫌いな人はいない】
生理学的な理由はいまだによくわからないようですが、砂糖の甘味は赤ちゃんを含めて、はじめて口にした人がすべて好きになってしまう。砂糖はおおかたの人々に好まれるので、とくに「世界商品」になりやすい性格を持っていた。
- P.5【世界商品をめぐって】
世界商品となった重要な商品を独り占めにできれば、大きな利益があげられることは間違いありません。ですから、16世紀以来の世界の歴史は、そのときどきの「世界商品」をどの国が握るか、という競争の歴史として展開してきたのです。
もともとこうした「世界商品」は、アジアやアフリカ、アメリカの鉱山や農場でとれる生産物が多かったということができます。
そのため、とくにヨーロッパ諸国は、これらアジアやアフリカの土地を、自国の植民地として囲い込み、外国の勢力を排除することになったのです。
- P.6【奴隷貿易を生み出した砂糖】
ブラジルやカリブ海の島々には、砂糖生産のためにプランテーションと呼ばれる大農園が作れられました。
こうしたプランテーションには、ヨーロッパ諸国の資本、中でもイギリスの資本が注ぎ込まれ、白人よりも安価な労働者として、数千万人のアフリカの黒人が、ここに連れてこられ、奴隷として強制的に働かされていました。
アメリカの南部では、もうひとつの世界商品となった綿織物の原料をイギリスに提供するために、綿花栽培のためのプレンテーションが、アフリカ人奴隷を労働力として広がることになります。
今日、アメリカ合衆国はもとより、カリブ海の島々やイギリスにも、多くのアフリカ系の人々が住んでいるのはなぜか、考えたことがあるでしょうか?それはこのように、ヨーロッパとアジア・アフリカ・アメリカとの関係の長い歴史があってこそなのです。
- P.89【商業革命と砂糖革命】
砂糖の輸入量はカリブ海で「砂糖革命」が起こったため、激増しました。しかし、その「砂糖革命」が可能になったのは、大量の奴隷の供給と、イギリスで砂糖に対する強い需要があったからこそでもありました。それは中国からの輸入が激増していた茶に砂糖を入れるためだったのですから、茶も砂糖革命の原因の一つだったと言えましょう。
- P.117【イギリスのジェントルマンを気取った植民地プランターたち】
砂糖入りの茶を飲む習慣は、ワインなどを飲むヨーロッパ諸国にはあまり広がりませんでした。しかし、イギリス植民地、とくにアイルランドとアメリカでは、そこに移住したイギリス人たちが本国の流行に敏感で、イギリスらしい暮らしをしていたため、そこで暮らす人々にも紅茶に砂糖を入れて飲む生活が進行していったのです。
- P.121【茶をボイコットした植民地の人々】
しかし、このようなアメリカ植民地の人々が一変する時が来ました。1763年のパリ条約によてカナダなどをフランスから獲得したイギリスは、戦争に勝っても、この時(1689年から最後のアメリカでの7年戦争まで)に使った戦費のため、植民地の人々にも多くの税金をかけることを一方的に宣言してしまったのです。憤慨した植民地の人々はいたるところで抗議集会を開き、暴動をおこし、イギリスからの輸入品をボイコットすることにしました。「イギリスのジェントルマンのまね」はやめることにしたのです。
アメリカ人はイギリスからの茶やイギリス製品を使わないことで互いの連帯感を強めるようになっていきました。かれらはイギリス人になるよりアメリカ人になることを望んだのです。
1773年、茶を積んでボストン港に入ったイギリス船にひそかに潜入したアメリカ人が積み荷の茶を海中にすべて捨ててしまう事件は歴史上有名です。(ボストン茶会事件)。このできごとは、植民地の人々の反イギリス感情を掻き立て、アメリカ独立戦争の決定的なきっかけになったと言われています。
そして、19世紀のアメリカ合衆国が、紅茶よりも中南米でとれるコーヒーを飲む国となり、さらには、コカ・コーラの国となっていったそもそもの出発点がここにあったと言われています。
- P.198【世界史を動かした砂糖】
砂糖や綿織物のような「世界商品」が、私たちの歴史に与えてくれた影響には、明暗二つの側面がありました。工業の発達というような、いわば、それらが人類にとってプラスに作用した明るい側面はもちろん正当に評価しなければなりません。しかし、それ以上に、それらの争奪戦がもたらしたマイナスの効果にも十分に気を配ることが必要です。それらは明るい近代世界をもたらしましたが、今も深刻な後遺症を地球上の各地に残しています。
- P.205【モノを通じてみる世界史】
かつて歴史家は、国や国民を単位として、世界の歴史を考えていました。国民が勤勉に働き、無駄遣いをしなかった国は豊かになり、怠け者の多い国は貧しくなったのだという考え方です。しかし、カリブ海にいろいろな産業が成立しなかったのは、黒人たちが怠け者だったからではありません。
実際には、この地域が世界商品となった砂糖きびの生産に適していたために、ヨーロッパ人がここにプランテーションを作ったことが大きな原因だったのです。
感想
アメリカ人はコーヒーでイギリス人は紅茶を飲む文化があるという認識は以前からあったけれど、それがなぜなのか気にも留めたことがなかった。奴隷貿易が残した爪痕は今でも各地に残っており、多様性を受け入れることが当たり前になった今でも、差別的な発言や、地域での対立などが見受けられる。政治でもサッカーでもスプラトゥーンでも。
まずは本書のような事実を多くの人が知ることが、そういった問題解決の第一歩だと思いますね。
キーワード
- 「世界商品」
アフリカの奥地でもヒマラヤでも使われているような商品のこと。ヨーロッパにしか通用しなかった毛織物とは違って、綿織物は世界商品でしたし、食料や衣料に限らず、今日でいえば、石油、テレビ、自動車も典型的な世界商品である。
- 「三角貿易」写真2枚目参照
ヨーロッパ人は世界商品となった砂糖が目的で、大金を投じてカリブ海にプランテーションを作りました。そのプレンテーションで働かせる労働力として、アフリカ人の奴隷を猛烈な勢いで導入しました。
イギリスのリヴァプールを出発した奴隷貿易船は、奴隷と交換するために、アフリカの黒人王国が求める鉄砲やガラス玉、綿織物などを持っていきました。それらを西アフリカで奴隷と交換したわけです。ついで、獲得した奴隷を南北アメリカやカリブ海域で売り、砂糖を獲得して母港のリヴァプールに帰るのでした。
三角貿易によってヨーロッパは莫大な利益を実現し、港町と商人の経済が急速に発展しました。奴隷貿易は奴隷の反乱や、伝染病のため、失敗することもありましたが、成功するともとでの2倍になるほどの儲けが得られたと言われています。
2022年6月10日 12:55
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